Complete text -- "第48話「流山」"

05 December

第48話「流山」

今回はなんといっても、香取さん演じる近藤の表情が印象的でした。
一年以上もの間「新選組!」を模索してきた三谷さんと香取さんだからこそ表現できた、最高の場面だったと思います。
賛美歌のような曲「やすらぎ」も後光が射した近藤と相まって、観ていて心が洗われるようでした。
これが近藤勇本来の姿だったのかもしれませんね。
加納でなくても平伏してしまいそうになりました。

流山での一連の行動は、土方との意見の食い違いがあったとか、戦意喪失したからだとか、上手く切り抜けられると見誤ったとか、いろいろな解釈がされてきました。
特に土方ファンにとっては、かけがえのない友(近藤)を救えなかったという事実に縛られ「流山」と聞くだけで悶々とした気分になったものです。

今回の「流山」は大河「新選組!」に生きてきた近藤ならではの展開で、目からウロコが落ちる思いでした。
窮地に追い込まれても、決して自分からは「生きる」ことを諦めない近藤と土方の行動は、観る側にとっても救いでした。
新選組ファン以上の愛情を注いで近藤勇を描ききって下さったことに感謝しています。
三谷さんが幕末研究に携わってこのような解釈をされて下さっていたら、私も流山に対して悶々としたイメージを持たなくてもよかっただろうに…と(個人的なことではありますが)ちょっと思ってしまいました(汗)。

また、今回強烈な印象を与えて下さったのが、有馬藤太を演じる古田新太さんでした。やや時代遅れにも見える彼の朴訥さ、剣に掛ける想いは、「武士よりも武士らしく」生きようとした近藤と重なって見えました。
特に、背中合わせに語る場面は圧巻でした。互いの立場を弁えた上で、それぞれの生き方に敬意を表している…というのが美しかったです。
当時、薩長や会津など各藩ごとの関係は緊迫していましたが、藩を超えた個人の関係は尊重されていたように思います。
関係は敵味方でも、同じ人間として「膝を交えて」語れば、身近に、そして愛しく感じることもあったのではなでしょうか。

(話はずれますが)よく、「話せば分かる」という言葉を聞きますが、これは”銃”ではなく”剣”の世界だからこそできるものだと考えています。
(基本的に戦う行為はいけないことですが)銃のように遠くから相手を撃つ行為は、相手の声も痛みも感じない行為だと思います。
剣はその点相手と一対一で勝負できると同時に、場合によっては自らの命をも危険に晒しかねません。いつのときも命がけで相手と向き合わなければならないわけです。
時代劇が斬る行為以上に人道的なイメージを与えるのは、こういったことなのかな、と近藤と有馬のやり取りを観て思ってしまいました。

20:00:00 | swing | | TrackBacks
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