Complete text -- "第38話「ある隊士の切腹」"

26 September

第38話「ある隊士の切腹」

今回は、新選組の崩壊以前に物事の善悪すらも揺らぐような衝撃的な内容でした。
恐らく、前回以上に土方への非難がされるであろうと、覚悟を決めております。

河合耆三郎の切腹は新選組でも有名なエピソードですが、隊士粛清の背後に潜む新選組の残酷さを改めて見せつけられた思いがします。

法度を自在に操ることで組織を締めようとした土方自身が、実は法に振り回されている…。そして、法が隊士どうしの絆すらも崩壊させてしまっている現状。彼自身、能力の限界を感じたのかもしれません。近藤のいない部屋で、誠の旗を見つめる土方の背中が無性に小さく見えてしまいました。

以前、余りに強靱でタフな土方に「伊東に屈する土方を見てみたい」と意地の悪いことを言っていたのですが、伊東と張り合う前に自爆してしまった土方さんを観て、かなりの衝撃を受けてしまいました…。河合を切腹に追い込んだのは紛れもなく彼のせいでしょう。自業自得と冷静に考えてみても、やはり辛い、というのが正直な気持ちです。
今回の土方さんを観て、はじめて山本耕史さん演じる土方に感情移入できたように思います。

広島で近藤が武田について語る場面がありますが、揺るぎない信頼こそが唯一の救いなのでしょうか。
近藤の存在の大きさというものに改めて気付かされました。



河合の死と、それを取り巻く隊士たちの行動については、生命に対する価値観の違いを思い知らされた気がします。
隊費の管理を怠っていたという点で、河合はなんらかの責任を取らなければならなかったわけですが、新選組の法度は「生か死か」二つの選択しかありません。
事が起こった時の対処が「死」しかないという現実。これは、現代の私たちにはとうてい理解できない世界です。しかし、これを覆すわけにはいきません。河合もそれを理解した上で新選組の隊士になったはずです。
ならば、50両の不足分を取り戻すしかないわけですが、ここで新選組隊士の結束のなさが表に現れてしまった気がします。
観柳斎の葛藤、左ノ助の行動、永倉の常識、それぞれ理解できるのですが、生命を左右する一大事にも関わらず詰めが甘過ぎるのです。これが自分だったら、愛する者だったら…、これが現実ならば本当にやりきれません。一人の隊士を救うには(気持ちは有難いけれど行動に現れていない)余りに粗末な行動だと思うのです。
これは極論ですが、新選組の総力を挙げれば、法度をも覆せたかもしれないし、土方を糾弾し孤立させることもできたはず。
しかし、それができなかった。
余りに新選組という大きな組織、法度に支配されていたのだと思います。

法度に従い悪あがきをしない土方、沖田、源さんは、(残酷かもしれませんが)行動に矛盾がなくて、ある意味納得できます。


新選組とよく比較される組織で長州の奇兵隊というものがありますが、彼らはいろいろな階級が集まった「烏合の衆(あまりこの言葉を使いたくないのですが…すみません)」でありながら、高杉晋作のもとクーデターを起こし藩論統一を成功させました。彼らには「同郷」という強い結束がありますので、新選組とは意味合いが違いますが、不可能なことを可能にした集団の力は評価すべきものと考えます(手段は評価しかねますが)。

私は、ドラマの批判をしているわけではありません。
三谷さんの意図するところは分かりませんが、河合の死と隊士たちの絆に心を打たれながらも、それを描写されるほど、新選組の脆さ、崩壊を感じずにはいられなかった…。ただ、それだけなのです。

00:12:00 | swing | | TrackBacks
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